日記 / 2026年6月9日
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ウェルベック『セロトニン』の一節、寝坊で消えた福岡、映画『シラート』の橋、そしてアイドルと観るゆゆうた。不在の精算についての日記。
ウェルベックの『セロトニン』1にトーマス・マンとプルーストが、八世紀分のヨーロッパの教養を背負ったまま若い肉体(ウェルベックはそれを「濡れ始めたヴァギナ、もしくは屹立しつつあるペニス」と書いた)の前に跪いた、と書かれている一節があって、僕はこの数日、しんぱち食堂のカウンターで、鯖の小骨を舌の先で選り分けながら、その頁のことばかり考えている。
註 1
あらゆる文明の敗北、動物的な見世物の最終的勝利。ウェルベックはそれを寂寥と呼んだ。
なぜいま僕がこの一節に固着しているのか、その理由は自分でも分かっているのだが、それを書くためには、先週の金曜の朝のことから——いや、そうではない、順序として、まずシラートという語から始めなければならない。
シラートとは、イスラムの終末論において、地獄の上に架け渡される橋の名である。2それは髪の毛よりも細く、剣よりも鋭いとされ、義人はこれを渡り切り、そうでない者は墜ちる。重要なのは、と僕は思うのだが、この橋には渡ると墜ちるの二つしかなく、橋の上に留まるという第三の状態が、定義からして許されていないことだ。渡り切れるか、落ちるか。
註 2
僕がこの語を知ったのは、同じ題の映画によってである。3
註 3
先週の土曜——正確には金曜の午後、と書き直さなければならない、そしてこの書き直しの内に、僕がこれから告白すべきことのすべてが、すでに折り畳まれている——僕は映画館の暗闇のなかにいて、スクリーンの上の砂漠を見上げながら、不快なドローンと映画館の振動を聴きながら自分の内部に、ドーパミンと呼ぶことを自分に禁じてきたところの、しかしそれ以外の名をまだ与えられていない物質が、胃の中から逆流してくるウイスキー、もしくは出血のように持続して滲み出るのを感じていた。そしてそういう意味で映画『シラート』は、ズートピア2よりもアトラクション的だったし、思弁的実在論にも似た最近のインチキ哲学みたいなコンテンツだった。
とはいえ話を戻すと、その金曜の午後、僕が東京の映画館にいたこと自体が、本来あってはならない時間の上に成立していたのである。
僕はその朝、始発で羽田へ向かい、福岡行きの航空機に乗っているはずだった。大学時代の友人たちとの旅行であり、久しぶりに会う友人、久しぶりの福岡、久しぶりの旅館と、僕はそれらの久しぶりを、指を折るようにして待っていたのだった。そして目を覚ましたとき、機体はすでに福岡に着陸している時刻だった。
寝坊、というのは、まどろみの中から、(体感上)非常にゆっくりと今何が起こっているかという世界への解像度をグラデーションをかけながら理解するあの起床後の数秒のことを指すのであって、ローパスフィルターのフィルターを開いていくようなあの感覚はショート動画には出せないものである。
暗いうちに鳴ったはずの目覚ましの音を、僕の意識のある部分は確かに聞いており(このことを僕は否定できない、否定できないということが、定食屋のカウンターでこの数日、僕を内側から圧迫しつづけているのだが)、聞いたうえで、覚醒の側へ渡ることを拒んだかもしれない。
午後の便に乗れば、旅程の大半に影響はなく、何事もなかったかのように旅館には辿り着けた。僕はそれをせず、布団のなかへ、いわば自発的に埋葬されていった。過失ではなく、ひとつの選択、ただし選択した当の主体が誰であったのかを、事後になっても特定できぬままの、薄暗い選択である。
やがて友人から通知が届いた。旅館のキャンセル料は宿泊料金の全額である、という、呆れと事務性の混合した短い文面。
それを読んだとき僕が理解したのは、二万円という金額のこと以上に、僕が本来そこに存在するはずだった一夜が、旅館のキャンセル料の仕組みにより精算された、ということである。
存在には容易に値段がつかないのに、不在は即座に、一円の端数もなく計量された。
そして僕はこの精算の感覚を、数時間後、映画館の暗闇で再び味わうことになったのである。シラートの橋が髪より細いのは、と僕はスクリーンを見ながら考えていた、橋の上の人間に滞在を許さないためだ。渡るか、墜ちるか。乗るか、乗らないか。
福岡か、布団か。第三の状態——気張ればまだ間に合う、という宙吊りの猶予——は、定義からして存在しない。僕はあの朝、墜ちる側を、薄暗い主体によって選んだのだった。
そして、土曜の夜、僕は高校時代の友人と、ぎこちなさの中で酒を飲んだ。
くどくど大江健三郎4を傍らに書いてきたものの、事実として寝坊はあり、乗るはずだった飛行機代、泊まるはずだった旅館代は請求され、なにより、楽しみにしていた旅行に僕は行かなかった。
註 4
そこでウェルベックに戻る。
マンとプルーストは、文明の最高高度から墜ちた。八世紀分の嵩を背負っていたからこそ、墜落は文明そのものの敗北となり、寂寥はあの規模に達した。
僕の敗北には、文明と呼べるほどの嵩がない。僕は教養によってではなく目覚ましによって敗れ、見世物と呼べるほどのものもなく、墜ちた高度は最初から地表すれすれだったので、精算は二万円で済んだ。
そしてこの矮小さこそが——僕にはそう思われてならないのだが——恢復のための、唯一の足がかりなのである。低く飛ぶ者は、墜ちても死なない。
映画を見た日の夜、つまり旅館にいるはずだったまさにその時間に、アイドルが僕の部屋へやって来た。
彼女はガチでアイドルであり、地上と地下の比喩で言えば、飛行と墜落の区別がほとんどつかない高度を、ギリ地上側で現に飛んでいる人間である。
彼女は僕の大好きな音楽家から楽曲の提供を受けており、僕はうらやましいわー、と声に出して言った。
彼女は田中秀和5を知っていたが、いきすぎコード6を知らなかった。それで僕らは、ゆゆうたが灼熱スイッチを聴いて発狂する動画7を並んで眺め、声をあげて笑い、そして眠った。
註 5
註 6
註 7
みんなの今日