日記 / 2026年9月24日

なにかがあるので、なにかがあるのである

雨で顔がパンパン。アイドルとは両思いのまま四ヶ月、元アイドルは既読無視。ハリポタ、コナン、ズートピア2、オデュッセイア。

6分 · 3166字日記9月アイドル映画ズートピア2オデュッセイアノーラン

雨である。雨がつづいていて、わかりやすく鬱々としている。

低気圧で体調が〜と言う人のことは、いまも嫌いだ。嫌いなのだが、気圧が低いと顔がパンパンになって、目がぼやぼやする。嫌いなまま、ぼやぼやしている。1

註 1
天気と気分の関係は、俗説だけではないが、平均的な効果はかなり小さい。1,233人の日記と気象データを照合した研究では、気温・風・日照と気分に関連はあったものの、天候で説明できる変動は小さく、個人差のほうがずっと大きかった。露骨に天気に反応する人はいる、くらいが正しい。顔のむくみの一般的な原因は睡眠、アレルギー、感染、副鼻腔炎、体液貯留などで、気圧が下がると顔がむくむという因果は確立していない。朝だけなら普通の体液貯留でも起こる。

アイドルとの蜜月は四ヶ月になった。形式上は"両思い"で、端から見ればセフレである。四ヶ月もつづくセフレにはセフレに収まらない何かがあるので、何かがあるのである。何かがあるので、何かがあるのである。2

註 2
研究上のFriends with Benefitsは一種類ではなく、「本当に友達でもある」「ほぼsexだけ」「恋愛への移行に成功した/失敗した/意図せず移行した」「元恋人から移行した」など七類型に分けられている。FWBだった192人を追った縦断研究では、のちに「関係なし」になったのが31%、恋愛関係への移行を望んでいた人のうち実際に恋愛関係になったのは15%だった。長く続けば恋人になる、というものではない。

向こうの彼氏とのほうも、特に動きはない。だから"両思い"なのである。3

註 3
好き、相互に好き、付き合う、排他的になる。恋愛語彙ではこれが一本の線になっている。ここでは相互に好き、のところで四ヶ月止まっている。感情、性関係、コミットメント、排他性を別々に数えれば、そこまで矛盾はしていない。

そんなこんなで四ヶ月やっていると、たまに頭がおかしくなりそうになる。4

註 4
完全に拒絶されていれば諦める材料になるし、恋人なら次にやることが決まる。どちらでもない。情報が少ないのではなく、反対向きの情報が多い。

青山ブックセンターと横浜スタジアムに行った元アイドルとは、縁を切った。デートをドタキャンして、その後の連絡も既読無視している。焼売はびちゃびちゃだった。三塁打はなかった。楽しくないからである。5

註 5
行動だけ見ればghostingである。2024年の実験研究では、ghostされた側は「相手は自分のことを気にしていない」と考えやすく、ghostした側は、された側が思うよりは相手のことを気にしている、という結果が出ている。ここでは関係ない。

高校の同級生がいるグループに、元アイドルもいた。豆柴の大群。わいの高校時代の話も聞かされている気がする。わいの高校時代の話を、わいは聞かされていない。6

註 6
確認はできない。

日記フレンズの日記を読んだ。左翼ガールとデートをしていた。好きな映画はなに?という話題で「ハリー・ポッター」を挙げる女性は地雷だ、という自論がある。あと「コナン」も。7

註 7
ハリポタ好き女性とコナン好き女性が地雷であることを支持する研究は、ない。見ているのは映画ではなく、好きな映画を訊かれてそれを答える人のほうである。論証すると弱くなるので、これ以上は書かない。

まあ左翼はダメだが、ダメだからといって、彼らの関心や問題意識そのものには関心を向けてもいいと思う。思うけど、マチアプで左翼ガールとマッチしたら「めんどくせー」と思うだろう。好きな映画を訊いてハリー・ポッターだったら、もっと思うだろう。8

註 8
思想史を読むのに、その思想を採用する必要はない。土曜の十九時に二時間話したい相手かどうかは、また別の話である。

要するに、人が自分の範囲を超えた物語を信じている、ということには関心があるが、その物語自体には関心がない。9 どんな物語も信じない、という態度は本来ありえないし、嘘だ。10

註 9
心理学にはnarrative identityという研究領域があり、個人が自分について作るpersonal narrativeと、社会にすでに共有されているmaster narrativeとの接続からアイデンティティを考える。人はゼロから世界観を作らず、すでにある物語を借りて自分を位置づける。
註 10
反論もある。哲学者Galen Strawsonは2004年の論文 "Against Narrativity" で、人はみな人生を物語として経験している、という主張にも、そう生きるべきだ、という主張にも反対した。自分を一つの物語として経験しない「episodic」な人間もいる、という。この日記も、四ヶ月を一つの筋にしようとしている。

最近はよく映画を見ている。オデュッセイアを見た。

ぼくの中で「ズートピア2問題」と読んでいる問題がある。十年前はリベラルメッセージそのもので感動できたのに、大戦争時代の二〇二六年にはそれだけだと空虚になってしまう、という問題だ。11 ズートピア2はそこから「世界でリベラルは無理かもだけど、目の前の君は」的な、凡庸な、セカイ系みたいなノリになっていて残念だった。ウサギとキツネのセカイ系。12

註 11
第1作『ズートピア』は2016年公開。当時の批評は偏見や恐怖扇動を扱った点を積極的に評価していて、LA Timesもbiasとfear-mongeringを扱う作品として評価した。空虚になったのは作品か観客か、は分からない。十年経った。
註 12
『ズートピア2』自体は政治性を弱めていない。爬虫類の追放、土地の剥奪、歴史の隠蔽、「危険な集団」というラベリングまで扱っていて、LA Timesは現実との類似をかなり直接に指摘し、Varietyは続編のメッセージを「平和的共存」と整理している。ただ、大きな政治問題を出したあと、解決の重心がニックとジュディ二人の信頼関係に戻ってくる。

オデュッセイアは、あえて加害側のトラウマみたいに描いていた。13 「戦争はある」という世界のなかで、メッセージはないながら、いいところまで行っていたと思う。14

註 13
New Yorkerは、ノーラン版がホメロスにおける神々の介入を弱め、オデュッセウスを戦争から帰ってきた罪悪感を抱えた男として描いている、と批評している。LA Timesの評には、ハデスから逃げるオデュッセウスを、彼に従って戦死した部下たちが追ってくるショットへの言及がある。PTSDよりmoral injuryに近い。トロイアの木馬を考えたのはオデュッセウスである。
註 14
『ズートピア2』では本来あるべき共存が先にあり、現実がそこから外れている。『オデュッセイア』では戦争はもう起きていて、トロイアは滅んでいて、仲間も死んでいて、そのあと本人だけが帰ってくる。

ノーランの時間操作とかとは別に、全然いい作品になっていた。15

註 15
『メメント』の逆行、『インセプション』の階層、『インターステラー』の相対論、『ダンケルク』の複数時間軸、『TENET』の時間反転。『オッペンハイマー』から『オデュッセイア』へ線を引くと、出来事を起こした側の男が、あとになって自分が何をしたのか分かりはじめる話が二本並ぶ。原爆と木馬。

四ヶ月、両思いで、セフレで、何かがある。そろそろイタケーには帰ったほうがいい。

Cosmic Dance / 2026年9月24日
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