日記 / 2026年6月30日
最高密度の退屈
大江健三郎を手がかりに、熱い「期待」の感覚と、戻ってきた吐き気について。
夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、熱い「期待」の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残っている意識を手さぐりする。内臓を燃えあがらせて嚥下されるウイスキーの存在感のように、熱い「期待」の感覚が確実に躰の内奥に回復してきているのを、おちつかぬ気持で望んでいる手さぐりは、いつまでもむなしいままだ。
——大江健三郎『万延元年のフットボール』[^1]
熱い「期待」の感覚がなくなると、突如として、ずっと真横にいたのに気づかないフリをしていた実存みたいなもの[^2]が顔を出してきて、なにもかもが最高密度の退屈[^3]に感じられる。
昔はそのせいでよく文字通り吐いたりしてたのだけど、ここ2年くらいそれも無くなったと思ったら、急にその吐き気[^4]がやってきた。
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