日記 / 2026年3月28日
帽子を買いに、銀座へ。あるいはエンドルフィンとブラシエとドパガキ言説について。
筋トレ後の多幸感のなかで歩行者天国の銀座を闊歩し、帽子を買い、ブラシエを買い、エンドルフィンとドパガキ言説と還元主義のパラドックスについて考えた土曜日。
3/28
土曜日の正午の銀座。 ガラス張りのショーウィンドウが日光を反射して、やたらと眩しい。エンドルフィン*1かセロトニン*2か、あるいはもっと別の何かか、名前は知らないが、とにかく神経生理学的な物質が、あきらかに僕に作用していた。
歩行者天国*3はいつも妙だ。暴動後のディストピアなのか、コミュニストたちが夢見たユートピアなのか、よくわからないが、とにかく何かしらの革命の前後のような雰囲気になる。 「銀座の街で革命が起こったら、どのブランドを着て戦おうかな」と口ずさみながら、僕はとにかく帽子を手に入れることにした。大気のなかに霧のように拡がった圧倒的な消費への欲望が、ショーウィンドウのガラスよりもなお強く、ぎらぎらと日光を乱反射していて眩しかったのである。
ゴールドジム銀座
その二時間ほど前、僕は銀座のゴールドジム*4に向かっていた。ビジター四千円。一回で、普段通っているジムの月額会費とほとんど同じ値段である。 仕事で会ったマッチョに誘われて、一緒に筋トレをすることになったのだった。休日の朝十時に人を銀座まで呼びつける無神経さに多少いらつきながらも、まあ仕事の付き合いだから、と自分に言い聞かせていた。 結果的に、人生ではじめてのベンチプレス*5までやり、すこぶる追い込めた僕は、すっかり気分が良くなっていた。そういうわけで、少し瞳孔を開かせながら、銀座の街を闊歩していたのである。
解き放たれた無
『豊饒の海』*6もまだ読み終えていないのに、どうしても読みたかったレイ・ブラシエ*7『ニヒル・アンバウンド』の翻訳、『解き放たれた無』を買った。 ばーっと一章だけ読んでみたが、ブラシエは情動や信念などといった、人間の人間たる部分、あるいは人間をそう見せている形而上学的な何かを、唯物論的に解体しようとしているように見えた。
ドパガキ言説とブラシエ
最近のドパガキ言説*8もそうだよなぁ、と一瞬思いかけた。だが、よく考えると、ドパガキ言説とブラシエは、似ているようでまったく逆のことをやっている。 「お前の行動はドーパミンに支配されているだけだ」と言うとき、それは一見、いかにも還元主義*9的な身振りをしている。ところが次の瞬間には、「だからデトックスしろ」「意志を持て」と言い出す。そこにはすでに、自由意志*10と主体的選択と「より良い生」の規範がどっしり座っていて、要するに神経科学の語彙を借りてきた道徳的説教にすぎない。還元主義の帰結を、まったく引き受けていないのだ。
ブラシエはもっと本気で、もっと面倒くさい。 「情動も信念も最終的にはホルモンや脳の電気信号に還元できる」という命題に肩入れしているっぽいのだが、しかしその命題に肩入れすること自体が、すでに信念的なものである、というパラドックスをちゃんと孕んでいる。ドパガキ言説はこのパラドックスに完全に無自覚なまま、還元主義の威を借りたストア派をやっている。
ただし、筋トレ後に歩いた銀座の消費的な雰囲気に飲まれた僕が、そこから何かしら革命後のような空気を感じ取り、多幸感に満ちていたのもまた事実であり、そこにはあきらかに筋トレによる神経生理的な作用が働いていたとしか思えないのである。 つまり僕もまた、ブラシエの徹底性にも、ドパガキの無自覚にも、きれいには落ちきれないまま、エンドルフィンの多幸感のなかで帽子を買おうとしていたのだった。
*1 エンドルフィン。脳内で産生される内因性オピオイドペプチドの総称。ギリシャ語の「内側」を意味する「endo」と、モルヒネを意味する「morphine」を合わせた造語で、一九七〇年代半ばに発見された。激しい運動のあとに分泌量が増加し、鎮痛作用と多幸感をもたらすことで知られ、いわゆる「ランナーズハイ」の主な原因物質として長らく信じられてきた。ただし、エンドルフィンは分子量が大きいために血液脳関門を通過しにくいという問題があり、近年の研究ではむしろエンドカンナビノイド系(大麻と同種の受容体に作用する内因性物質)の関与が大きいという説が有力になっている。ドイツの研究グループが二〇二一年に発表した実験では、エンドカンナビノイド系をブロックした被験者がランナーズハイを経験しにくかったという結果が示された。いずれにせよ、「筋トレで気持ち良くなる」という現象は実在するが、それを一語で「エンドルフィンのせい」と言い切るのは正確ではない。
*2 セロトニン。脳内の神経伝達物質のひとつで、気分・睡眠・食欲の調節に関与する。「幸せホルモン」と通俗的に呼ばれることが多く、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が抗うつ薬として広く使われることから、一般的に「セロトニンが不足すると鬱になる」というイメージが定着している。しかし、この「セロトニン仮説」は現在の精神医学では大幅に修正されており、うつ病の原因をセロトニン不足のみに帰することへの疑問が相次いで提示されている(二〇二二年のJoanna Moncrieffらによるレビュー論文は特に反響を呼んだ)。体内に存在するセロトニンの約九〇パーセントは腸で産生されており、脳内のそれとは別系統で機能している。また、セロトニン分子そのものは血液脳関門を通過しないため、食事で摂取したトリプトファンが脳内でセロトニンに変換されるという経路は存在するが、単純に「セロトニンを食べれば気分が良くなる」という話にはならない。運動との関連においては、持続的な有酸素運動が脳内セロトニン受容体の感受性を高める可能性が示唆されているが、機序の詳細はまだ解明途上である。
*3 歩行者天国。銀座では一九七〇年八月から、毎週末・祝日の昼間に中央通り(銀座四丁目交差点付近を中心とする区間)を歩行者専用にする取り組みが続いている。日本国内では銀座のほか、新宿・池袋・浅草などでも実施されており、世界的には一九六〇年代のヨーロッパ諸都市で先行した事例があるため「世界初」とは言い切れないが、当時の日本では先進的な試みとして注目を集めた。もともと「歩行者パラダイス」という名称だったが、後に「歩行者天国」が一般的な呼称として定着した。車道を人が歩けるという物理的な変化は、街の意味論的な変容を引き起こす。普段は交通の論理に支配されていた空間が、突如として人の時間と速度に委ねられる。その奇妙な開放感が、日常から切り離されたような、あるいは社会秩序が一時的に停止したような感覚を生むのは、空間の統治構造が可視化されるからかもしれない。
*4 ゴールドジム(Gold's Gym)。一九六五年、ジョー・ゴールドによってアメリカ・カリフォルニア州ヴェニスビーチに創業されたフィットネスクラブチェーン。アーノルド・シュワルツェネッガーがボディビル全盛期に通ったジムとして世界的に有名になり、ドキュメンタリー映画『ポンピング・アイアン』(一九七七年)にも登場して「ボディビルの聖地」という地位を確固たるものにした。現在は世界三〇カ国以上に展開する大手フランチャイズチェーンとなっており、日本には一九九四年に上陸している。銀座店は立地・設備ともにハイエンドな部類に入り、フリーウェイトエリアの充実度は都内でも評価が高い。ビジター料金が一回四千円程度というのは、都内の標準的なスポーツジムの月額会費(七千円〜一万円程度)と比較すると確かに高い。ただし、初めて本格的なウェイトトレーニング設備にアクセスする体験としては、それなりの価値があるとも言える。
*5 ベンチプレス。バーベルを使ったフリーウェイトのトレーニング種目。専用のベンチ台に仰向けに寝た状態で、ラックからバーベルを外し、胸のあたりまで下ろしてから押し上げる動作を繰り返す。主に大胸筋、三角筋前部(肩の前部)、上腕三頭筋を鍛える多関節種目で、スクワット・デッドリフトとともに筋トレの「三大種目(ビッグスリー)」に数えられる。パワーリフティングの競技種目でもあり、挙上重量が比較的わかりやすい指標になることから、トレーニーの間では「ベンチ何キロ上がる?」が挨拶がわりになることもある。フォームの習得難易度は三大種目のなかでは比較的低いとされるが、肩関節への負荷が大きいため、初心者が誤ったフォームで高重量を扱うと肩を痛めやすい。初回に「すこぶる追い込めた」という感覚があるとすれば、それは多くの場合、翌日から二日後にかけて遅発性筋肉痛(DOMS)という形で返ってくる。
*6 『豊饒の海』。三島由紀夫(一九二五〜一九七〇)による長編小説四部作。第一巻『春の雪』(一九六九年)、第二巻『奔馬』(一九六九年)、第三巻『暁の寺』(一九七〇年)、第四巻『天人五衰』(一九七一年)。輪廻転生をモチーフとし、明治期に華族の子弟として生まれた松枝清顕の魂が、昭和にかけて複数の人物として転生していくさまを、その転生を見届ける本多繁邦の視点から描く。ヒンドゥー哲学や仏教の時間論、西洋哲学との対照が底流にあり、最終巻では本多が老境に至って転生者の存在そのものへの疑義が提示され、強烈な虚無感のなかで終わる。三島は第四巻の最終稿を出版社に届けた当日である一九七〇年十一月二十五日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省)でバルコニーに立ち演説ののち、割腹自決した。三島の死と本作の完成が完全に一致しているという事実は、『豊饒の海』をある種の自決声明として読む解釈を不可避に呼び込む。
*7 レイ・ブラシエ(Ray Brassier)。一九六五年生まれのイギリスの哲学者。現在はベイルート・アメリカン大学教授。思弁的実在論(Speculative Realism)の主要論者のひとりとして知られるが、本人はのちにその運動との距離を明言している。主著『ニヒル・アンバウンド――啓蒙と絶滅』(Nihil Unbound: Enlightenment and Extinction, 2007)では、セラーズの「科学的イメージ」を出発点に、フロイト、ラリュエル、バディウ、メイヤスーらを経由しながら、自然科学の成果を徹底的に引き受けた帰結としての「ニヒリズム」を展開する。ブラシエにとってのニヒリズムは道徳的な虚無主義ではなく、「人間的意味」が宇宙の構造において特別な地位を持たないという認識論的な帰結であり、それを「悲しむべきこと」としてではなく「哲学的に正直に受け入れるべき事実」として提示する。邦訳は大西雅一郎・和泉悠訳『解き放たれた無』として二〇二四年に人文書院より刊行。
*8 ドパガキ言説。ここでは「ドーパミンデトックス」「ドーパミン断ち」「ドーパミン管理」といった言説の総称として使用している。SNS・動画配信・ポルノ・ジャンクフードなどの「即時報酬」を提供するコンテンツ・行動を意図的に制限することで、ドーパミン受容体の感受性を回復させ、長期的な目標達成や「深い満足」に向けて自己を再調整しようという考え方。スタンフォード大学の神経科学者アンドルー・ヒューバーマンのポッドキャストや、Anna Lembke著『Dopamine Nation』(二〇二一年)などを通じて広まり、日本語圏にも「ドパミンデトックス」「スマホ断ち」等の形で普及した。問題は、この言説が「ドーパミン」という神経科学の語彙を借りながら、その科学的精度を大きく逸脱している点にある。ドーパミンは単純に「快楽物質」ではなく、予測誤差・報酬学習・動機づけなど多様な機能を持つ神経伝達物質であり、「高刺激を断てばドーパミン受容体が回復してより良い生が訪れる」という単純な図式は、実際の神経科学の知見とは大きく乖離している。にもかかわらずこの言説は、神経科学の権威を纏いながら、実質的には「節制こそ徳」「即時の快楽を遠ざけよ」というストア派的・清教徒的な道徳を説く。科学の語彙で包んだ説教、と言ってほぼ差し支えない。
*9 還元主義(reductionism)。複雑な現象や高次の概念を、それを構成するより基礎的な要素の性質や法則によって説明し尽くせる、あるいは置き換えられるとする方法論的・存在論的な立場。科学哲学では「理論的還元」(高次の理論を低次の理論に還元する)と「存在論的還元」(高次の存在者を低次の存在者に同定する)が区別される。心の哲学においては、「精神状態は脳の物理的状態に同一である」という同一説(type identity theory)が代表的な還元主義の立場である。しかしチャーマーズが「意識のハード問題」として定式化したように、クオリア(痛みが「痛い」と感じられること、赤が「赤く」見えること)の主観的性質を物理的記述に還元することは依然として哲学上の未解決問題とされている。また「創発(emergence)」の概念は、高次の性質が低次の要素の単純な集合には還元されないという直観を表現しようとしたものだが、「強い創発」が実在するかどうかも議論の的である。ブラシエのような徹底的な唯物論者は、こうした還元主義への反論を「人間中心的な偏見」として退けようとするが、その立場自体が何らかの認識論的立場に依拠しているというパラドックスは残る。
*10 自由意志(free will)。ある行為を行うにあたって、その人がそれとは異なる行為を選択できた、という意味での意志の自由。西洋哲学における最重要問題のひとつで、決定論(すべての出来事は先行する原因によって決定されている)との両立可能性をめぐり、「両立論」「非両立論(ハード決定論・自由意志論)」に大きく分かれる。神経科学的観点からこの議論に火をつけたのが、ベンジャミン・リベット(Benjamin Libet)が一九八三年に発表した実験である。被験者が意識的に手首を動かそうと「決めた」と報告するタイミングより約三五〇ミリ秒前に、脳波(EEG)で「準備電位(Readiness Potential)」と呼ばれる活動が始まっていることが示され、「意識的な意図は脳活動の原因ではなく結果にすぎない」という解釈が広まった。この実験はその後、再現性の問題や解釈の問題(準備電位が本当に「意図」に対応するのか等)をめぐって多くの批判と追試が行われており、リベット実験のみを根拠に自由意志を否定するのは科学的に過剰だという見方も強い。ダニエル・デネットのような両立論者は、決定論と自由意志は概念を整理すれば両立可能だと論じ、ブラシエのような立場はむしろ自由意志の概念そのものを「人間的物語」として解体しようとする。
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