日記 / 2025年11月24日
11/24
2025年のはじまりと草津温泉
「光速航行は人類にとってとてつもなく大きなマイルストーンだよ」と関一帆はつづけた。「新たな啓蒙運動、第二のルネサンスだ。光速航行は人間の思考を変革し、文明や文化さえ変えてしまった」
「たしかにそう。光速に達したその一瞬で、わたしも変わった。生きてるうちに時空を超えられるなんて。空間的には宇宙の果てまで行けるし、時間的には宇宙の終末まで行ける。こんなこと、いままでは哲学的な議論でしかなかったのに、それがとつぜん現実的で具体的な問題になった」
「そうだね。宇宙の運命とか目的とか、そんなことは、かつては哲学者が考える形而上的な問題だった。しかしいまは、どんな俗人でもそれについて考えざるを得ない」
「新世界の中に、宇宙の果てまで行こうと考えた人はいた?」
「もちろんいた。五隻の終極宇宙船がすでに出航してる」
「終極宇宙船?」
「終末宇宙船と呼ぶ者もいる。この光速宇宙船には目的地がない。曲率エンジンを最大出力にして、狂ったように加速させることで、光速に無限に近づく。目的は、相対論効果を利用して時間を跳び超え、宇宙が熱的死を迎える未来までたどりつくこと。計算によれば、彼らの十年がわれわれの五百億年に相当する。じつのところ、そのために計画を立てる必要さえない。宇宙船が光速まで加速したあと、曲率エンジンに修復不能の故障が発生して減速不可能になったとしても、生きているうちに宇宙の果てにたどりつける」
—— 劉慈欣『三体III 死神永生』
宇宙への逃避。ただし、そのフロンティアもまた絶望に満ちていて、破滅的な中にやはり人間的な美しさがある。SFのスケール、そして宇宙の崩壊まで行くスケールに、読む手が止まらなかった。
1月
2025年の年明けは、大晦日→元旦の草津温泉の旅行だった。
大晦日、当時の恋人と草津温泉に行った。雪と湯気に包まれた草津は、本当に素晴らしかったのに、彼女のメンヘラが大暴走して、旅そのものはほぼ地獄だった。 居酒屋で一緒に紅白を見ていたら急に機嫌を損ねたようだった。
年明けのカウントダウン、陽気なイルミネーション。それとは対照的な、恋人の喚き声、ヒステリックな叫び、そして鼻をつく硫黄の匂い。
言葉の棘がじわじわ刺さり続けて、帰りのバスに乗るまで、空気はずっと重かった。あの旅行を境に関係は決定的に悪くなり、結局、2月に別れることになる。
それでも、草津そのものの記憶は美しい。刺すような寒さの中、湯畑からはひたすら湯気が立ち上り、どこを歩いても温泉の匂いがする。絶え間なく湧き出るお湯をぼんやり眺めているだけで、「ああ、温泉地に来たんだ」と身体じゃなく心が先に解けていくような感じがした。 温泉に泊まりで行くなら、こういう“温泉街そのもの”を楽しめる場所じゃないとダメだ、とこのとき確信した。 何もしない静かな旅なら銀山温泉に籠もるのも悪くないけれど、自分にとっての温泉旅行は、湯に浸かる時間だけじゃなく、湯気の立つ街をふらふら歩き回る時間である。
行きと帰りのバスでは、ひたすら『三体』を読んでいた。1巻は二十歳くらいのときに一度読んでいたはずなのに、読み返すとまるで別物みたいに面白い。年を重ねてから読み直すと、登場人物たちの絶望や諦め方が、前より具体的に刺さってくる。そこから勢いで2巻、3巻へと進み、ページをめくる手が止まらなかった。今年ここから先、これ以上に面白いコンテンツに出会えるのか正直不安になるくらい、圧倒的な読み心地だった。恋人との関係が静かに崩れていく中で、バスの座席だけが別世界への脱出口で、そこだけは安心して没頭できる場所だった。
その少しあと、1月4日は誕生日も祝ってもらった。都立大の小さなフランス料理屋で、誕生日ケーキと、うまい魚と肉料理を前にして、二人でボトルを開けた。表面的には、ちゃんと予約された「誕生日ディナー」だったはずだ。料理も、ワインも、ケーキも揃っていて、写真だけ切り取ればきれいな夜になっていたと思う。
実際には、その夜もずっと穏やかではなかった。ぼくが「女友達」と呼んでいた女性と、付き合う前にセックスをしていたことが彼女にバレて、会話のほとんどはその話で埋め尽くされた。事実としては、彼女と付き合う前の出来事で、そのあと恋人ができてからは一度も会っていない。理屈の上では「浮気ではない」はずなのに、ここぞとばかりに切れ散らかしてきた。 それくらいあるだろう、、、いちいち目くじらを立てるなよと思った。
ボトルを二人で空けながら、彼女はほとんどヒステリーに近いテンションで怒り続けていて、お店の人が異常に心配していた。声もだいぶ大きかったから、周りから見れば完全に修羅場だろう。そんな空気の中で、タイミングを見計らったようにケーキプレートが運ばれてきた。きっと彼女は事前に、ぼくのためにケーキプレートを予約してくれていたのだと思う。店側は、いつこれを出せばいいのか、「お誕生日おめでとうございます」と言っても大丈夫な瞬間が来るのか、ずっと様子をうかがっていたのだろうな。
実際にケーキが出てきたとき、店員さんの「おめでとうございます」という明るい声と、テーブルに渦巻いている怒りと疲労の空気とのギャップがすごかった。祝われているはずなのに、まるで謝罪会見の延長みたいな誕生日だった。 いや、実際にはご飯は全部美味しかったし、僕は悪いことなんてしていないのだけれど。お互い酔っ払って、ガチでムカついているのに、どこか仲直りのような空気もあって、最後は二人で笑いながら帰った記憶がある。 あの妙な滑稽さと、どうしようもないしんどさをセットで覚えている限り、2025年の1月は、たぶん一生忘れない。
そういうわけで年末からいろいろ大変だったので、このあたりで別れようと決意した。
そのあと、高校の友達と城崎温泉にも行った。 そして、温泉街はやはり温泉街でないとダメだという思いを確かなものにした。 昼からいれる温泉街でぶらぶらするだけで精神は豊かになるのだ。それは温泉の効果でもないし、静かな夜ご飯でもないし、ジブリっぽいだけの景色でもない。
そして、今年だけでおそらく50回は通うことになる飲み屋にも、この月はじめて行くことになる。最初は「ちょっとディープな店だな」くらいの気持ちで入ったのに、カウンター越しの距離感とか、よくわからない飾りつけとか、薄暗い照明と酒の匂いが、やたらと落ち着いた。まだこのときは、自分がこの場所に通い詰めることになるなんて全く思っていない。変なポスターに囲まれたカウンターで笑っている写真だけが残っている。
そしてやはり、今、見返していたら学芸大学で友達ができたのも、今年の1月だった。 その彼、丸山くんとは、それから未だに、月に五回くらいのペースでどこかの飲み屋で会っている。恋人との関係は着実に悪化していったけれど、学芸大学に行けばいつでも飲んでくれる友達ができたという事実は、この年の序盤にこっそり忍び込んでいた救いだったのかもしれない。
2月
1月が思ったより長くなったせいか、2月はほとんど何も覚えていない。なにを読んで、なにを考えていたのか、自分でもよくわからない。ほとんどメモが残っていないし、写真も極端に少ない。 学大のたこ焼き屋で酒を飲み、そのままカラオケに行く週末を四回くらい繰り返していたら、いつの間にかカレンダーだけが進んでいた。きっと本当に、ただぼんやりと生きていたのだと思う。
3月
3月も、基本的には2月の延長だった。 ここでまた新しい友達ができた。 逗子だかどこかの海沿いの町で育った幼なじみの女の子二人組、そして伊藤忠に勤めているという男。たこ焼きやでなんとなく話し始めたら、妙に波長が合って、そのままみんなで飲むようになった。
そのときはまだ、「たまに会う飲み仲間」が増えたくらいの感覚だったのに、気づけば5月にはピクニックをしたり、8月には長野に旅行に行ったりするような関係になっていた。その後も、なんだかんだで定期的に遊んでいる。 ちなみに、そのたこ焼き屋はとにかく男たちが女のことを話そうとギラギラしている空間で、だんだん居心地が悪くなってしまった。 でも、よくわからないたこ焼き屋、なんとなく声をかけ合っただけの夜が、あとから見れば今年の人間関係をだいぶ変えるきっかけになっていたのだと思う。 なぜ仲良くなれたのかはわからない。お互いたまたま暇だったのか、そういうものなのだろう。
あとは、大学の友達とキャンプにも行った。まだ夜はかなり冷え込む時期だったのに、なめてかかってしまい、薄い寝袋と酒だけを持っていった結果、ただただ寒くて眠れなかった。テントの中で丸くなりながら、「これ、下手したら本当に死ぬやつでは?」と少しだけ本気で思った。翌朝、生きて起き上がれたときの安堵感と、地面の冷たさのほうが勝っているキャンプ場の朝の空気は、今でもはっきり覚えている。 もう二度とキャンプなんかには行かない。川に飛び込めるサウナみたいなものも、風のおかげでぎりぎり凍ってないくらいのエントロピーに感謝するくらい冷たかった。
調子に乗って、クラウディ・ベイを買っていったのだが、あまり飲んでくれなかった。こういうのは酒ガブガブ飲んでくれる友達とやるべきだった。
4月
4月は、マリオン・メッシーナの『窒息の街』を読んだ月。
生殖とは無関係のセックスをして、自分の体の中にオスを迎える栄誉を授かるために。この逆転した状況を利用し、市場関係者たちは女性の身体を絶え間なく改造することだけに特化した商品やサービスで記録的な利益を上げている。使い捨てカミソリ、サロンでの光脱毛、ストレートアイロン、カールアイロン、ウェーブアイロン、ヘアエクステンション、付け爪、付けまつ毛、プッシュアップブラ、Tバック、タンガ、巧みな広告キャンペーンによって品があると錯覚される売春婦みたいな下着、常軌を逸した性行為を エロいゲーム へと昇華させる様々な中国製の小道具セット、セルライトを解消するマッサージ用手袋、太ももへのカフェイン注射、眉間の皺へのボツリヌストキシン注射、毛髪用の化学染料、BBクリーム、CCクリーム、ファンデーション、プライマー、チーク、アイシャドー、マットな口紅、パールが入った口紅、グロッシーな口紅。レーザーでムダ毛を焼く先端技術、非常に高額な乳房形成術に脂肪吸引、そしてジム通い。
資本主義と性と自己嫌悪が全部ぐちゃぐちゃに絡まっている感じに、うんうんとうなずきはしたものの、ただ「そうだよな、こういう地獄だよな」と確認して本を閉じて、それで終わりの4月だった。 もう資本主義の中で鬱々とするのはやめようと思う。仕事は楽しいし、基本的に自由主義は最高である。 そしてみんなが超人になればいい。 大事なのは超人が何を考えるかである。
同じ頃に読んだ『会社という迷宮』も、今年読んだ本の中ではかなり面白かった。少し自己啓発っぽい匂いがしてしまうので、あまり積極的には言及したくないのだけれど、それでもページをめくりながら何度か本当に泣きそうになったのを覚えている。
5月
5月は、あまり印象に残る出来事がない。映画館で「今日の空がまだ一番好きと言えない僕らは」を観たことだけはかろうじて覚えている。スクリーンのなかでぐずぐずにこじれていく若さを眺めながら、「まあ、こういう感じのまま大人になったよな」と他人事みたいに思っていた。 そこにあるのは失望というよりは、諦念による許しに近い感覚だった。
あとは、3月にたこ焼き屋で知り合ったメンバーの一人と、駒沢公園にピクニックに行った。長野旅行に一緒に行くことになるその子と、昼間からありえない量の酒を飲んで、芝生の上で死ぬほど騒いだ記憶だけがある。何を話したのか、何を食べたのかは全然覚えていないのに、陽の光とアルコールでぐらぐらになった頭の重さだけが、やたらとはっきり残っている。
よしよし、2月に恋人と別れて、なにも前進しなかった。冒頭4ヶ月だということがわかる。気づけば冬が終わっていて、春が終わりかけている。
じゃあ次回は5月から振り返っていこう。そして年末にかけてベストソングトーナメントとベストコンテンツ祭りもやっていく!(元気があれば・・!)
みんなの今日