日記 / 2025年3月16日

2025年3月16日の日記

仕事での疲れを癒す学芸大学での飲み会と、その翌日のゾンビのような一日。

5分 · 2528字日記

火曜日 仕事ですこしがっかりすることがあったので、学芸大で飲んで帰ろうかと思っていました。 とはいえ、次の日仕事なのに飲みに行くのも億劫なので、まずは駅から一番近いのコンビニに行って 缶酎ハイを片手に散歩していた。 「ベンヤミンの『パサージュ論』で描かれた『フラヌール』。

『都市の通りを徘徊する者は、その個人的な過去のなかに消え去っていく。彼にとって、すべての通りは急勾配である』」。

Instagramのストーリーで丁度知り合いの男の子が飲んでいるとのことだったので 最近良く行く居酒屋(?)で合流することになった。

そこには、その彼と、女性3人。 その3人のうち、以前会ったことのある顔が一人。そして、初めての顔が二人。それは、まるで僕が歌わされた岡村靖幸の、予期せぬコードが響く瞬間みたいだった。 どうもこうももぼんやり飲んでいたら、1時前になって二軒目に行くことになってしまいました。

水曜日 結局4時前に帰宅したので、あまりに眠たすぎてゾンビみたいに働いた。


土曜日 昨日はぼんやり仕事をして、銭湯に行きました。 銭湯で軽く脱水症状になってから、学芸大の家系ラーメンを食べた。

そしてまた、よく行くお店で一人で飲んだ。

東京に住んでそろそろ1年になるが、学芸大か西小山でしか飲んでいない。 それなりに楽しいこともいくつかあったりはした。

音楽もあまり聞かなくなったし、映画も見ていない。美術館も行っていない。 働きき始めてからずっと息が詰まっているので週末はむしゃくしゃして飲みに行く。 とはいえ、同じ場所に入り浸っても息が詰まる。 結局誰かにとっての他人でいることがあまりに心地良いのに、人と関わり続ける以上、それができなくなる瞬間がいつか来る。

だから別の人とか、別の場所で飲みに行きたい。

↑もう文化系とかいいよ、と思いながら高校生からずっと聞いているのでたまに聞いてしまうラジオ。 今日もふと聞いていた。 「ラジオは常に他人でいられる。」とかなんとか言っていた。 確かに。ラジオは、親密なのに決して私を侵さない。それは公共の広場でありながら、個室でもあるよう。今の時代による電波があったらなと思います。

翻って、本、音楽、映画。それらもまた、他者の物語を生きながら、自己という安全圏に留まることを許す。「活動」ではなく「労働」に、あるいは「社会的なるもの」の過剰なまでの親密さに疲弊した我々にとって、それは必要な逃避になる。だが全く社会的でない消費など、どこにあるというのか。

我々は消費を通じて自己を表現しようとするが、その動機を公にすれば、ボードリヤールの言う「記号の操作」に過ぎないことが露呈する。学芸大の居酒屋で缶酎ハイを片手に、私は「他人でいられる」快楽を求めていた。しかし、その快楽もまた社会的に構築された幻想ではないか。

ラジオを聴き、本を読み、音楽に耳を傾ける。ボードリヤールでも、なんクリでも描かれた記号の海じゃないところで私たちは消費の意味を問い直す必要がある。

消費の彼岸とは、記号の操作から解放された場所ではなく、記号の操作に自覚的でありながらも、なお「心の暗闇」を保持できる場所なのだ。 それは、アーレントの「公的領域」とボードリヤールの「シミュラークル」の狭間に存在する、気がする。

「全く社会的でない消費」など、実は存在しないのかもしれない。しかし、消費行為の中に「活動」の萌芽を見出すこと、それが2年目の僕の目標。

ホントは恋人がいるとできる気もするけれど、そういうわけにもいかない。 とりあえず誰か人形町で飲もう!

アーレントの「心の暗闇」とは アーレントは心を「暗闇の場所」と表現し、人間の内面にある動機や感情が本質的に不明瞭で解明しきれないものだと考えました。この概念には以下のような特徴があります: 内面性の不可視性: 心の中の動機や感情は、本来は個人の内面に留まるべきもの 公的な場に持ち出されると、その真実性が損なわれる 公と私の区別: 私的領域(心の暗闇)と公的領域(行動と発言の場)の区別を重視 内面の暗闇は個人の独自性を保護する場所 フランス革命の例: ロベスピエールが革命家たちに動機を公言させたことで、多くの人が偽善者と見なされ処刑された 内面の動機を公にすることで生じる危険性の例証 なぜ「闇」なのか アーレントが「暗闇」という表現を使ったのは、以下の理由からです: 心の内面は本質的に「見えない」もの 動機や感情は言語化すると歪められる 内面の複雑さは光に当てると(公にすると)その本質が失われる これは単に「悪い」という意味での闇ではなく、「見えない」「解明できない」という意味での闇です。アーレントはこの「見えなさ」を尊重すべきだと考えました。 現代的関連性 この概念は現代社会でも関連性があります: SNSでの自己開示文化 就職活動での志望動機の強制 内面の感情を公に表現することへの社会的圧力 アーレントの視点では、これらは「心の暗闇」を不適切に公開させる行為であり、個人の内面性を損なう可能性があります。 前回の文章では、この「存在の闇」の概念を用いて、現代の消費行為や他者との関係性を分析しました。消費を通じた自己表現も、内面の複雑さを単純化してしまう危険性があるという視点です。 この概念は「闇存在」という言葉ではなく「存在の闇」または「心の暗闇」と表現するのが正確です

Cosmic Dance / 2025年3月16日
註の番号を押すと本文中に開きます

みんなの今日

今日の一枚を投稿する