日記 / 2025年3月2日
2025年3月2日の日記
春の気配、ウィトゲンシュタインの本、中目黒から自由が丘までの散歩。
今日は少し暖かかった。春が近づいてきている気がする。季節の変わり目って不思議だ。冬から春への移行は、なんだか世界が少しずつ色を取り戻していくみたいで好きだ。春という言葉を聞くだけで心が動くのは、単純な話じゃなくて、人間が世界の変化に敏感だからなんだろうな。
<p class="text-base leading-relaxed text-gray-700 dark:text-gray-300">
最近、ウィトゲンシュタインの日記を読み返している。古本屋で見つけたボロボロの本だけど、中身は全然古くない。この一節が特に頭から離れない:
</p>
<div class="border-l-4 border-green-500 pl-4 my-6">
<blockquote class="text-base italic text-gray-600 dark:text-gray-400">
哲学の仕事とは、無意味な問いによって乱された精神を静めることである。そもそもそうした問いに悩まされない者にとって、哲学は不要である。
</blockquote>
</div>
<p class="text-base leading-relaxed text-gray-700 dark:text-gray-300 mt-4">
今日は中目黒から自由が丘まで歩いた。電車だと10分くらいの距離だけど、歩くと全然違う景色が見える。中目黒のブルーボトルでコーヒー飲んで、友達と哲学の話をした。「言葉の限界」とか「沈黙の意味」とか、ちょっと気取った話をしてしまった。でも、そういう会話って日常から少し離れた感覚があって好きだ。自由が丘までの道すがら、普段は気にしない看板や路地、建物の形に目が止まった。電車だと見えない細部が、歩くとすごく鮮明に見えてくる。これって思考の仕方にも似てるかも。
</p>
<p class="text-base leading-relaxed text-gray-700 dark:text-gray-300 mt-4">
この一年間、「何も考えない時間」がほとんどなかった。常に何かを考えて、読んで、書いて...。でも逆説的だけど、考えすぎると本当の意味で「考える」ことができなくなる気がする。本を読むのも、ただ受動的に情報を入れてるだけなら、実は「考えていない」のと同じかもしれない。昨日、全然違うバックグラウンドを持つ人と話して、言葉が通じない瞬間があった。その「沈黙」の中に、なんか大事なものがある気がした。瞑想とも違う、機械的な会話とも違う、言葉の外側にある何か。
</p>
</div>
<div class="bg-gray-50 dark:bg-gray-900 p-6 rounded-lg shadow-md mt-6">
<p class="text-sm text-gray-500 dark:text-gray-400 mb-2">今日聴いてた曲:</p>
<iframe
class="rounded-lg"
src="https://open.spotify.com/embed/track/0VjIjW4GlUZAMYd2vXMi3b?utm_source=generator"
width="100%"
height="152"
frameBorder="0"
allowFullScreen=""
allow="autoplay; clipboard-write; encrypted-media; fullscreen; picture-in-picture"
loading="lazy"
></iframe>
</div>
<div class="bg-gray-50 dark:bg-gray-900 p-6 rounded-lg shadow-md mt-6">
<p class="text-base leading-relaxed text-gray-700 dark:text-gray-300">
帰りに本屋によって、新しい哲学の本を3冊も買ってしまった。積読がまた増える...。でも、同じような考え方の人とばかり話してると、考えが深まらない気がする。全然違う視点、全然違う言葉を持つ人との対話こそが、本当の意味での「沈黙」や「考えること」につながるんじゃないかな。
</p>
<p class="text-base leading-relaxed text-gray-700 dark:text-gray-300 mt-4">
明日からまた仕事だ。今日の散歩と思索が、少しでも明日以降の日常に染み込んでくれるといいな。
</p>
</div>
みんなの今日
今日の一枚を投稿する