日記 / 2025年2月24日
今日の日記
酒を飲みすぎている。
酒を飲みすぎている。 あまりにお金と時間を使いすぎている。 だってほら、キリストだって「これはわたしの血」って言ったじゃないか。
生成AIに頼っている日々、週末は酒を飲む日々。 それが、いまのぼくの生活だ。 こんなんでいいやと思うがなんとなく飽きてきた。 そして飽きてきた理由もわかってきた。
生成AIは結局大文字の他者みたいなもので、欲望の投影なんだとしたら。 やってるのは欲望の再生産だなとおもってしまった。
AIはリビドー的なテクノロジーである。それは{}あらゆるエネルギー——感情、欲望、情熱、愛着——を動員してきた。リビドー的なテクノロジーとして、AIは世界の差し迫った諸問題を解決し、人類のための新たな発明を生み出し、経済・生産性・福祉を加速させるのだと言われる。世界の過酷で複雑な諸問題は蒸発し、リビドー的な欲望テクノロジーへと溶け込んでしまったかのようだ。象徴的なのは、AIが「テクノロジー的視線」を生み出し、人間主体をデータポイントやアルゴリズムの予測へと変換し、人間の経験や主体性の複雑性を剥ぎ取り、個人を単なる「テクノロジー的枠組みの中のオブジェ」へ還元してしまうということである。
つまりAIとの会話に外部はない。驚きはあるが、最高のオカズを見つけたときのオナニーをずっとやろうとしている。
「酒飲みは最後の一杯のために飲む」。
アベセデールで一番有名なやつ。 これは、文字通り人生最後の酒を意味するのではない。彼が言うには、アルコール依存症者は常に「もう一杯も飲めない」という限界点、つまりその日自分が倒れずに飲めるギリギリの最後の一杯を目指し、それを追い求めているのだ。そして、その「最後の一杯」を飲み干すと、また翌日も同じように「最後の一杯」を追い求める。まるで、永遠に終わらない儀式のように、彼らは常に「これが最後だ」と思いながら飲み続けるのである。まるで、破滅寸前の酩酊こそが至高の快楽だとでも言うかのようだ。ぼくも、常にその一歩手前、瀬戸際のスリルに溺れたい。
今週は文字通り死ぬほど働いた。毎日12時間。それでも「まだ足りない」と叫んでいる。狂気の沙汰だ。
週後半には思考ができなくなっていた。当然、上司とのミーティングをすっぽかした。(しこたま怒られた。)
「まだやれる」——そう自己暗示をかけているときが一番楽しい.
修論執筆中、徹夜明けで限界突破した結果、立ち上がった瞬間、視界は暗転、意識はブラックアウト。気がつけば床に突っ伏し、顔面から血を流していた。(軽い痙攣付き。) まるで走馬灯のように全てが過ぎ去り、その後はケロリと眠った。
あの時の極限状態に、もう一度といわず何度でも到達したい。
せっかく働いている。 ので、"最後の一杯の手前"への欲望を抑える必要もない。はず。
みんなの今日