日記 / 2023年5月29日
5/29
ES書かないとなぁ、とぼんやりずっと思っている。
ES書かないとなぁ、とぼんやりずっと思っている。もし、人生が、うっすらとした義務感みたいなものでしか進まないのだとしたら、そんな人生さっさとやめた方がいい。
5/26
國分功一郎がajiroでトークイベントをやっていたので行った。 狭い店内に20人くらい来ていたので、椅子がぎゅうぎゅうだった。話している國分功一郎は前に座っている人に隠れていてほとんど見ることができなかった。残念。
知り合いが来ていたのでイベント後30秒くらい話した。また会おうと話したので良かった。女の子なんだけど、大学一年生の時にややあってなぁなぁになった女の子に似ているので少し変な気持ちである。
別の知り合いも来ていたので夜ご飯を食べに行った。住吉まで歩いてつどいという店に行った。飲みながら23時くらいまで話して帰った。 なんか色々話した気がするけど、ほとんど忘れた。
5/27
お誘いがあったので、西南に行った。國分功一郎が西南で学生と話す、ゼミみたいなイベントだった。
デパコスとか高い服とか買うと「お前はブランドを消費しているだけだ」という人がいる
別にそんな賢しらなこと言われなくてもわかっている。それを勝ち誇ったようにように言ってくる奴が心底むかつく。
それくらいボードリヤールを知らなくたってわかる。 というか、ぼくは逆にプチプラ的に「コスパよく」満たされる欲望に全く興味がない。彼らは往々にして「わたしに欲望なんてないですよ」という態度を取る。断言したいが、むしろそれこそが作り出された欲望なのだ。
コスパという記号を消費して、賢く生活していると思っている人はさっさと反省してください。
「じゃあ結局どっちも記号を消費しているだけじゃないか。」
めっちゃわかる。半分は自分でもそう思っている。結局差異のシステムはどこにいてついてくるし、足の遅いやつから潰される。資本主義リアリズムも加速主義もそこを出発点に生まれた。
ボードリヤールは「象徴交換と死」でオルタナティブを目指すことを諦めったぽい。象徴交換の唯一の外部としての死を実践したのか知らないけど、マークフィシャーは自殺した。でも端的にそれはキツすぎる。
うーんやっぱり死ぬしかないのだろうか この問題は考えれば考えるほど死ぬしかなくなってくる。
たすけて、バタイユ
ボードリヤールは自身の消費概念をバタイユの消費概念と区別した。ボードリヤールのそれは記号的な消費で、バタイユのそれは浪費に近い、蕩尽とか言ったりする。
バタイユは自身の蕩尽にある可能性を見ている。それは祝祭に近いし、無駄な消費である。
書いててめんどくさくなったので言いたいこと箇条書きする
デパコス広場は祝祭の空間、ただ明るすぎる
ブランド品はコスパが悪いとかいうやつはクソ
コスパがいいを徹底したら死ぬしかなくなる
目的のない消費、それでいて生活が困窮するような、をやって記号の消費から抜け出せる地点がある
それはきっと苦しみから始めるロマンチシズムとは少し違う
記号消費の抜け出せなさに絶望したとして、蕩尽するまで浪費して祭りを始めることに内部から抵抗の可能性がある
なんの根本的解決にもなってないじゃん→死
みたいなことを國分さんの話から考えていた
5/28
博多駅の寿司屋に行った。
ぼくはあんまりお腹空いてなかったので、きゅうりのおつまみとサーモンを3貫頼んだ。 一緒に行った女の子は好き勝手頼んでいた。
最初の注文が一通り届いた。数貫のすし、おつまみ、そして謎のユッケ。
サーモンが輝いていたので撫でたくなった。食べようとしたら女の子に止められた。
「並べるけん待って。」 写真を撮りたいらしいので、、撮らせることにした。別に食い意地張ってないのでそれくらいは余裕で待てる。
ところが何かが物足りなかったらしい彼女は寿司をいくつか追加で注文しだした。 「まぐろとか頼んだけん、それ来るまで待って」
は???????????
「ここにあるサーモンは、、、」という気持ちになった。
普通にイライラしたので、勝手に食べた。 あんま怒られなかったのでよかった。
まぁそれ以外は割と普通だったし、なんかずっとかっこいいって言ってくれたので許すことにした。
みんなの今日