diary / 2025年2月3日

2025年2月3日の日記

2025年2月3日の日記

5分 · 2743字diary

仕事をサボってしまった。
もっと正確に言うならば、有給を使ったのである。世間的には"休暇取得の推奨"と言われているが、どうにも罪悪感が拭えない。高校時代に「体調不良です」と電話しながら映画館に繰り出したあの頃の自分が、背後で薄ら笑いを浮かべているようにも思える。しっかり"正規ルート"を通って休んでいるとはいえ、いまだに「サボる」と言いたくなるあたり、根っこはまったく変わっていないのかもしれない。

ところで、私がサボりの道を歩んできたのは何も今回が初めてではない。そう、高校の頃にも「適切にサボる」技術を駆使していた。家を出るときは制服姿だが、途中で学校に電話を入れて「今日は熱が出て…」などとそれっぽく報告し、バスや電車の経路を変えて映画館やイベント会場へ。あのころは、サボりに対してほとんど抵抗を感じなかった。それどころか、日常の制約から逃げ出すプチ冒険のようでもあった。

多くの高校生にとって、サボりの定番は友人とのカラオケやボウリングかもしれない。しかし、私にとっての最初の悪魔の道は、『HIGH&LOW』を観に利府イオンまで出向くという行為だった。LDHの圧倒的プロデュース力が注ぎ込まれたアクション映画は、ヤンキーやチーム同士の抗争が派手に描かれ、スクリーンいっぱいにスローモーションの肉弾戦が広がる。普通に考えれば、学校で授業を受けているはずの時間に、全身黒ずくめのワルたちが暴れまわる映像を観ている自分がいるという背徳感。それをさらに刺激的にしていたのは、「本来ならここにいるはずじゃない」と知っている自分自身だった。

映画を観終わった後、ぼんやりとした多幸感に包まれながら思ったのは、「サボりというリスクを背負ってまで、これは観る価値があったのか?」という問い。しかし、不思議なもので、あの頃の私には"バカバカしいほどの全力アクション"が何よりも尊く感じられたのだ。授業の代わりに選んだ"HIGH&LOW"が、映画館を出る頃には、自分の心に大きなエネルギーを注いでいた。
「学校で真面目に学ぶ」か「映画で熱狂を得る」か。高校生だった私は迷いなく後者を選び、自分の青春を謳歌したのである。

しかし、私にはもうひとつ、忘れられないサボりの記憶がある。タイトルすら思い出せない香港のB級カンフー映画に心を奪われ、似たような方法で学校を休んだのだ。ジャッキー・チェンやドニー・イェンといった有名スターではなく、もっと無名の役者たちが雑なワイヤーアクションを繰り広げる、いかにも低予算の作品。でも、不思議な魅力があった。
今となっては「なぜそこまでして観たかったのか?」と不思議になるが、当時の私は「とにかく退屈な日常を脱して、体が躍動する瞬間を求めていた」のだと思う。
アクション映画というのは、一種のカタルシスである。パンチやキックが滑稽に見えても、そこには"退屈を破壊する衝動"が詰まっている。高校生の私にとって、それは立派な動機だった。「サボり=自己解放」という図式を、香港B級カンフーは見事に支えてくれたのだ。

一方、今日の私はというと、まともに有給を申請し、やましい気持ちなしに"適切に休んだ"はずなのに、結局"何もしなかった"。映画館どころか外に出ることすらしないまま、スマホでSNSを眺めていたら一日が終わってしまった。高校時代のような背徳的なワクワク感どころか、かえって無力感や罪悪感が増してしまう始末。
これはある意味、第二の悪魔の道かもしれない。アクション映画に飛び込んだあの頃のサボりには"突破力"があったが、いまや私のサボりは"空虚"という闇に包まれている。形だけは合法的な休暇でも、心がどこか置き去りなのだ。

ふと思い返せば、元の文章では、アベンジャーズから"地方創生"を学び、ロバート・ダウニーJr.の復活劇に"社会のダブルスタンダード"を見たとあった。私のサボりにも、少しだけ似た構造があるように思う。学校や会社という社会的システムの中で、ルールを破ってでも自分を解放するか、それともルールを活用しながらも結局なにもできずに終わるか。
高校時代の私は、社会の枠外に飛び出し、"B級カンフー"にバカみたいに興奮した。ところが大人になると、有給という制度で守られていても、なぜか心まで自由になれない。むしろ、ちゃんと手続きを踏んでいるのに「サボっている」と感じるのは、社会的責任と自分の欲望のあいだで揺れているからだろう。まるで「休むなら、何か建設的なことをしなければならない」という強迫観念すらあるようだ。

結局のところ、サボりとは社会から逸脱する"小さな冒険"でありながら、それが本当に充実しているかどうかは本人次第なのだ。

  • 高校時代の私は、HIGH&LOWや香港B級カンフー映画へ飛び込み、退屈な日常をぶち壊すエネルギーを得た。
  • 今の私は、制度で守られた有給休暇を活用しながらも、何もしないまま一日を終え、逆に消耗している。

どちらが正しいかではなく、"どう休むか""何のために逸脱するか"という視点が大切なのだろう。映画から得られる衝動や、無計画なドキドキ感を忘れてしまったとき、サボりはただの空虚になってしまう。
私が次に有給を取る日は、もう少しだけ高校時代の自分を思い出してみよう。たとえばアクション映画を観に行くとか、いっそアニメをイッキ見するとか、こんな些細なことで構わない。とにかく何かに夢中になってみる。せっかくのサボりの"悪魔の道"を、あの頃のようにもう一度、活力に変えられないだろうか。自分自身へのそんな問いかけこそ、私にとっての"地方創生"――いや、"心の創生"への道なのかもしれない。

Cosmic Dance / 2025年2月3日
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