日記 / 2024年1月9日
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意味の論理学
コメディアンが演じるのは、人物などでは決してなく、出来事の要素が構成するテーマ(複雑なテーマあるいは意味)、つまり個体と人格の限界から結果=効果的な仕方で解放されて交流し合う特異性が構成するテーマである。役者は、非人称=非人格的で前個体的な役に自らを開くために、つねにまだ分割可能な瞬間に人格性のすべてを差し出してしまう。
『意味の論理学』
あずまんがすね毛を燃やす配信が面白かった。ので、ぼくも毛を燃やしてみた。腕毛を。ターボ式じゃない普通のライターを、腕におそるおそる近づける。皮膚まで火がついてしまわないか。そんなことを思う距離でもないところで、うでの毛が燃えた。
熱いと感じるわけでも、暖かいとすら思わない。うでを炙るというよりも、ただ火を近づけただけだ。そこにはありんこみたいにチリチリになった腕の毛があるだけだった。
皮膚と毛のあいだのわずか2,3センチの毛で覆われた空間は、果たして自分のものなのかそうじゃないのか。少なくとも、そこに火があっても特に問題はないことが分かった。
みんなの今日
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