日記 / 2023年3月6日

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3分 · 1818字日記3月

僕は旅先で意地になってビールを飲もうとする。別にビールである必要はなく好きな酒であればなんでも良い。とはいえ、手っ取り早く買える酒はビールの場合が多い。 それはくだらないマッチョイズムみたいになっている。こんなに疲れているのに酒を飲む俺すごいみたいになっている。ぼくもそれくらいは分かっている。でもくだらないマッチョイズムを捨てた先になにがある? スタンプラリーみたいに観光地を回って、Googleマップにピン留めされた「行きたいところリスト」を消化していくことに、何の意味があるだろうか。 だが残念ながら旅の記憶はいつも「どこで・誰と・何をしたか」の形式に依拠する。ビールの味もビールを飲みながら行われた会話の内容も、旅の記憶とは一切関係ない。つまり旅の記憶はGoogleマップとGoogleフォトとほぼ同じものになる。 はっきり言って、ビールを意地でも飲もうとするぼくのマッチョイズムは無駄かもしれない。 あれ?書いててよく分からなくなってしまった。別のことを書こう、。

台湾から帰って一日後に広島に旅行へ行った。だいたい丸一週間旅行していたことになる。 街の歩き方について考えていた。ぼくの場合、初めての街を歩くときはいつも頭の中に地図が作り上げられていく。 「この通りは駅に対して南北に伸びていて、ここで別の通りと交差して、だいたいこの辺にさっき行ったお店がある」 みたいに。まぁ多分だいたいの人はそうやって歩く。もう同じ道を歩くときはその地図がさらに鮮明になる。 すごい単純に言うと、ぼくは台湾にいて地図を作りながら歩く以外の歩き方をしたいと思った。 すべての道がローマに続いているならば、地図上のどの場所にいても自分は世界に対して飲み込まれる形でしか存在できない。逆にいえば地図上のどこにも存在してないとき、ぼくは世界や街に対して対峙できている気がする。たとえば、便意が我慢できなくて1秒でも早くトイレを見つけなければならないときだったり、どうしてもタバコが吸いたくなったとき。街が鳥瞰した地図上の概念ではなく、ぼくが挑むべき相手に変わる。 そうやって街が現れてほしい。そのときにぼくは初めて観光客になれる。

もう一回酒を飲むことについて考えてみる。酒を飲んだ記憶が何も残らないことは別に考える前から知っていたはず。それは最近の酒タバコセフレがエモい問題にぼくが思うことと似ている気もする。 酒もタバコもセフレとの関係は結局何の記憶も残らない。終わった瞬間に記憶に残らないことが確定する。あまりにも虚しい。でもそもそも人生なんて最初から虚しいのだから、その虚しさに身を委ねることができる人がぼくは強い人だと思う。こう考えると「明日に備えて寝る」という選択はどう頑張っても虚しいものでしかない旅行を充実させるために足掻いているように見えてくる。 短くなっていくタバコを見ているうちにふと、この瞬間がどうしても愛おしく思えてきたりする。実はさっきもそんな気持ちになって日記を書くことにした。詩的な瞬間は、直線に進んでいるように見える時間を折り畳んだり、回転させたりすつことを可能にする。決して避けられないと思っていた、否応なしにまっすぐ進む時間が、虚しさのあまり別の進み方をする瞬間。

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Cosmic Dance / 2023年3月6日
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