日記 / 2023年2月6日
2/6
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スクールオブロックを聞いていたら、閃光ライオットが開催されるとのこと。あなたも閃光ライオットで泣いたことあるでしょう。 そして僕は青々としたsoundcloudの曲をいくつか思い出す。 shh in sinhのフレグランスの曖昧とか。 去勢的禁止論ってなんなんだよ。
千夜一夜のシェヘラザードの物語は時代とともに少しずつ増えていること。ライアンガンダーの風。環世界移動能力。など そんなことばかり考えている。もう君から君から香るフレーバーは思い出せない。 また一緒にバンドをしたいなと思うことも残念ながら、ない。
写経
私は書かなくてはならない。何を?出来うる限り全てを。私が近くしたこと、私が考えたこと、私自身の足跡について、 なるべく多く、なるべく詳しく、書き残さねばならない。そのような観念に私は取り憑かれている、取り憑かれている、というと悪霊のように聞こえるし、実際これは 悪霊なのかもしれない。 文字に書き起こす行為によって取りこぼされるものは少なくない。中島敦「文字禍」では、文字は人の頭脳を害する例であると言われる。 目の前にあるものそれ自体ではなく、その影を見るように仕向ける霊だ。文字の霊に魅了されたなら、もう後戻りはできない。
それでも書かねばならないと思うのは、やはり、書かねば広がらず、書かねば遣らない体。なるべく多くの人に、私は意思表示をしたい。 会話をしたい。未だ見ぬあらゆる隣人に対して、自分があ死んだ後まで言葉をかけ続けたいのである。文字の霊に髄まで起こされた後で考えるのは、 この犯された髄をいかにして自覚し、いかにして利用するかであって、いかに文字から逃げるか、では決してない。
お前の言葉にはされほどの価値があるのかと思われるかもしれない。価値などなくても良いと返したい。 どれほどよそに私より優れた文章を書く人がいようと、それは私の文章ではない。私は私というこの実存を必ずしも熱烈に信じているわけではないが、 それでも私という生きられた身体から発せられる言葉は、他の生きられた身体から発せられるそれとは常に異なる風体であるはずなのだ。 私は社会の複数生の一部である。あらゆる人と少しずつ似ていて、全くもって異なる。ゆえに私の文には、書いて遣る意味がある。
それは同時に、あなたも書くべきである、ということを意味する。これは文字に頼る道だけを意味しない、あなたが何を用いて思考するのか、 それはきっと文字だけに限られない--楽器、絵画、粘土、踊り、そのほか世界にはさまざまな形態の言語が存在し、それらは文字と異なる形で、しかし平等に尊重されるべきである。 よってここでは、あなたも書くべきである、というより、あなたも叙述するべきである、と言い換える方が適当かもしれない。何かを用いて、何かを述べてほしい。
みんなの今日