日記 / 2023年5月11日
5/11
はちかいみみの書評集を買った。
はちかいみみの書評集を買った。
面接が終わって死にそうになりながら東京駅に着いた。肌色の川を無限に聞いていた。
少しだけ時間があったので本屋に行くことにした。 でも難しい哲学も、気の抜けた小説も読める気がしないくらい疲れていたので、詩のコーナーに行った。 西脇順三郎が読みたかったけど見当たらなかった。はちかいみみの書評集を買うことにした。詩じゃないけど。
飛行機に乗り込んでからずっと読んでいた。飛行機の離陸までの時間があまりにも長かった。18時過ぎのフライトだった。沈みかける陽を見ながら、買ったばかりの本を読み始めた。 このまま滑走路を移動し続けていたら福岡に着くんじゃないかと不安になるくらい、飛行機は滑走路を走り続けていた。
はちかいの文章は言葉に対して無限の優しさをもって接しているよう。
例えばフランスの画家ルドンとその兄貴分であったクラヴォーについての文章が前書きにある。
回想的な文章から成る『ルドン 私自身に』には、ルドンが若い日々に接したクラヴォーのおもかげが断片的に書き留められている。 「わたしにはうまくいえませんが、,知覚の限界のような世界で、動物と植物の中間の生命、花というか存在というか、一日のうち数時間だけ、光線の働きによって生物として生きる神秘的な存在を研究していたのです。」 ルドンは、クラヴォーのことを「めったにないことですが、彼は学者であると同時に芸術家でした」と記す。ルドンは、クラヴォーからさまざまなことを学んだ。博物学や文学や哲学、眼に見えること、見えないことについて、知識と刺激を与えられた。当時まだ珍しかった顕微鏡を、そっと覗き込んでは生き物たちを観察するクラヴォーは、インドの詩を好んで読んでいたという。19世紀のボルドーで、インドの詩。どんな人だったのだろうか。
ここまで書いて寮の人からラインきて、呼ばれてしまったので離脱する。
1時間くらい話に付き合って戻ってきた。 続ける。
『ルドン 私自身に』の中に、「私が書き取っておいた彼の言葉には、次のようなものがあります」という1行があり、続いて、クラヴォーの言葉が9つほど箇条書きにされている、それはたとえば「美は、静かで休息をあらわすものであり得るし、運動と生命をあらわすものでもあり得る」といった、かなり抽象度の高い内容だ。いずれにしても、ルドンにとって印象深く響いた言葉だったのだ。 書き留めておこうと思った、ということから、クラヴォーに対し尊敬の念を抱いていたことが伝わってくる。その箇条書きの、生真面目さ。ほほえましい、という感想が浮かんで、胸を流れて消えていく。書いて手元に残したいと、思ったルドンの心の動きが見て取れる。人と出会い、言葉と出会うということは、なるほど、こういうことかもしれない、と思う。そんな情景を心に抱える瞬間、生の時間は濃くなる。それは生の根に触れるような瞬間だ。
あまりにも優しい文章を読み続けながら、永遠にも感じられる、離陸までの時間を過ごしていた。
飛行機に乗るときはいつも離陸の瞬間が一番緊張する。ジェットの轟音と水平方向と垂直方向の加速度の重力に身を固めながらジオラマみたいに遠くなって行く都市を眺めていると、加速度がなくなって緊張の緩和が起こる。
でも今回は違った。 はちかいの文章を読みながらのあまりにも長すぎる滑走路の移動時間は、むしろ離陸への期待感を生み出していた。 実際、ジェットの轟音は「この飛行機ちゃんと飛ぶんだ」という安堵となって解放的なノイズに聞こえた。
そしてちょっとだけ幸せな気持ちで雲を抜けた。
みんなの今日