日記 / 2023年4月28日
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今日もまた1000kcalくらいしか食べれなかった。食べれないというより食べたいものが何もない。
今日もまた1000kcalくらいしか食べれなかった。食べれないというより食べたいものが何もない。 朝セブンのいちごジャムとマーガリンのコッペパンを食べて、昼ごはんにクッキーを食べて、さっきレトルトカレーを食べた。
なんか5年ぶりくらいに空想列車聴いたらめっちゃ良かった。
キリンジと冨田ラボの曲聴いた。堀込兄の歌い方全然変わっていた。
別に今日は書くこと何もなし!
何もしてないけどいい一日だったことにする。
精神分析では、ファルスは「支配」の記号表現であり、ファルスへの執着は支配の欠乏を、つまり、支配を失って悲しんでいる状態を示すものである。その時、ファルスは器官としてのペニスとしては別物で、権力・力・能力・生命力を表す記号なのである。
(マルク・ボナール/ミシェル・シューマン『ペニスの文化史』藤田真利子 作品社 1991.8 以下「」内引用も同書)Inner Space社によるファルスのオブジェMarsを買う。ディス プレイされていた大きな一点物を特にお願いして格安で売っていただいた。
私の肘から下くらいの長さがある、透明で冷たくてなめらかでまっすぐで力強いファルスをテーブルに置いておくと、その存在感がとてもうれしい。(ちなみに同じテーブルには以前買ったBirth of Marsと、シャム双生児の骨格標本と硝子のペーパーウェイトと水晶球、万華鏡と革の仮面と鉱石標本、そしてアクセサリーケースがある)。ファルス。「眠っていた自然に新たな命を吹き込む、太陽の働きを象徴している」もの、「聖なるもの、永遠につづく創造の原理を表わ」すもの。
でも、ヴァギナもまたそのような生命力や豊饒を示す真正なシンボルである。それにもかかわらず私がファルスに崇拝にあたいするような神聖さ、心のよりどころとなるなにかを感じるのは、私が異性愛が推奨される家父長性的価値観を内にとどめているからなのだろうか。女性である私に性的快楽を与える器官=ペニスへの崇拝が、私の内にはあるのだろうか。
そうではないと思うのだ。性器周辺粘膜における快感はそれは素晴らしいものだが、もっと素晴らしいのは、その人の存在・気配によって私の存在・気配が変わるような場が形成され変化していく次元である。声音一つで、視線の動きで、脈拍が上がり、粘膜は充血し、意識は霞がかかり、目は潤み、身体は熱くなり力が抜ける。社会的自己は捨て去られ、パートナーと対応する際のよりプライベートな自己意識すら脱ぎ捨てて、感覚そのものになる。そのような思考・感情・身体すべてを同時に操られる状態において、性器の役割はそれほど重要ではないし、場合によってはまったく関係がない。性別もまた同様だ。私はファロセントリック(男根中心主義的)な考え方を正当ではないと確信している。牡の泌尿器であるペニスと、生命力と力強さの象徴であるファルスが混同されることはナンセンスだ。
私が欲するものがあるとすれば、そのような大きな影響を及ぼすことができるエネルギー、命じられるからではなく、おのずから跪かずにはいられない権威だろう。それをペニスに似た形を持ったファルスに感じてしまう自分に対する違和感は残る。
これは、ファルスとペニスを混同することなく、さらに、ペニスを持っている性に対してファルスの性質を不当に重ね合わせることさえしなければ許容可能な問題なのだろうか。
みんなの今日