日記 / 2023年11月19日
11/19
散歩しながら考えたこと
自覚的浪費と無自覚的消費
昨日の惚気話には割と反省している。が、「日記は消すもんじゃない」らしい。。。 いやぁでも消すかぁ
『暇と退屈の倫理学』では、「浪費」と「消費」を区別する。
- 浪費は端的にぜいたくすること。
- 消費は観念的なもの、その対象は記号 「消費」はおわらない。新しいiPhoneのモデルは今後も発売されるし、ブランドは夏物と冬物を発表し続ける。そこには記号の消費という明確な目的がある。
一方で、浪費はどうだろうか。
ぜいたくをするとき、私たちは満足し幸福を感じながら、一方で心のうちですこし罪悪感をいだいたり、ぜいたくをする人間が非難の対象になったりすることもある。これは「ぜいたく」が「余剰」であって「必要」とは対立するものとして捉えられているためである。
しかし、1970年代にフランスの社会学者・哲学者ジャン・ボードリヤールは「浪費」について、人間が本当に「生きている」と感じるためには、ただなんとか生存する(survive)のではなく、過剰や余分の享受が必要であると書いているという。実際、人間はそれが許される場合には、浪費をおこなってきた。國分先生は、例として人類学の研究の蓄積や、シェイクスピアの『リア王』における「わかるかな、われわれが人間らしく生きるには、ちょっとした余分が必要だということが」というセリフなどにも言及された。
浪費は消費社会における暇であり、余剰である。
なんとなく、クリスタル
また、なんクリの話になるけど、なんクリは消費社会の「消費」性を、クリスタルに、淡々と描き続ける。 一方で、主人公とナンパ男のラブホテルでの会話は「消費」と「浪費」の両儀的な関係が描かれているようにも読める。こないだもここ引用したけど、、
「クリスタルなのよ、きっと生活が。なにも悩みなんて、ありゃしないし……」
と、私が言うと、彼は、
「クリスタルか……。ねえ、今思ったんだけどさ、僕らって、青春とはなにか! 恋愛とは何か! なんて、哲学少年みたいに考えたことってないじゃない? 本もあんまし読んでないし、バカみたいになって一つのことに熱中することもないと思わない? でも、頭の中は空っぽでもないし、曇ってもいないよね。醒め切っているわけでもないし、湿った感じじゃもちろんないし。それに、人の意見をそのまま鵜呑みにするほど、単純でもないしさ」
そう言って、タバコの火を消した。
「クールっていう感じじゃないよね。あんましうまくいえないけど、やっぱり、クリスタルが一番ピッタリきそうなのかなー」
クールが「消費」でクリスタルは「浪費」と対応してると、読んでもいいんじゃないかな。
そしてこの小説の中で、一番「浪費」に対応しているのがセックスである。記号とは別の、肉体的な感覚が「クリスタル」のうちの一つとして、記号から逃れた「浪費」として描かれる。
だからまぁ肉体をあらゆる方法で浪費することが一番手っ取り早いんじゃ無いかな、、あらゆる意味で、、
そういうわけで
なんクリのラストは、主人公がランニング中にゲランの香水をつけた女性とすれ違う場面になっている。ゲラン、の、香水の、消費的部分と、肉体と浪費が香水によって折り畳まれた襞。
「誰でもいいから付き合いたい」の誰でもよくなさについては、消費じゃなくて、どれだけ一緒に浪費できるか、ということなのかなと思った。
純粋な浪費なんてもちろんないんだけど、「どれだけ同じ記号を消費できるか。」よりも「どれだけおなじぜいたくができるか。」の方が正しいんじゃないすかね!!
前回の日記はそういうわけで、同じ浪費の話であった。
セックスは愛の行為じゃなくて、肉体の浪費だとするならば。意味のあるセックスとは別に。パートナーとのセックスも価値観問題も同じものとして考えられるな、と思った。
昨日のティンダー活動しながらそんなことを考えていた。ちなみに、ティンダー活動では散歩しかしていないが、相手の女性に童貞だと思われて解散した。
みんなの今日